NEWS
最新のお知らせはこちら

走者、金栗四三・25万キロの軌跡03

2017.5.3

金栗足袋 改良を重ね製品化

 

金栗四三が持っていた金栗足袋。右は地下足袋型、左はより新しいシューズ型で、ゴム底には「金栗タビ ハリマヤ」と記されている

 

1912(明治45)年6月、ストックホルムに到着した金栗四三は、約40日後に迫った五輪本番に向けてマラソンの練習を始めた。1人でこつこつとコースを走る四三に、外国人の選手らは興味津々。足の先が割れた、見知らぬ履物で走っていたからだ。
四三が履いていたのは、日本伝統の足袋。屋外の競走に耐えられるよう、厚い布を底に縫い付けて耐久性を高めたものだ。当時の日本はまだ欧米のようなランニングシューズがなく、東京の足袋屋「ハリマヤ」に頼んで特別に作ってもらった。
四三とハリマヤによるマラソン足袋の改良は五輪後も続き、ゴム底やひもの採用などで徐々に進化。「金栗足袋」の名称で製品化されると、陸上競技に広く普及した。36(昭和11)年のベルリン五輪に出場した朝鮮出身の孫基禎も、金栗足袋で金メダルを獲得した。
玉名市立歴史博物館は、四三が持っていた2種類の金栗足袋を所蔵する。足首まで布地で覆う地下足袋型と、より洗練されたシューズ型だ。学芸員の村上晶子さん(62)は「改良によって近代的なシューズに近づいていく過程が分かる」という。(蔵原博康)

 

マラソン用の足袋を履いた23歳当時の金栗四三(玉名市立歴史博物館提供)

 

2017年10月22日(日)付熊本日日新聞朝刊掲載

 

玉名市の公式観光案内サイト タマてバコ

up