東京高等師範学校(現筑波大)で本格的に長距離走を始めた金栗四三は当時、非公認ながら国内の25マイルマラソン(40・2キロ)で世界記録を3回更新している。距離や時間の計測を疑問視する声があったが、世間は“新星”の出現に驚き活躍を期待した。
最初の世界新は、1911(明治44)年11月のストックホルム五輪代表選考会。40キロを走った経験や知識はなく、練習は自己流。20歳のマラソンデビュー戦だった。
選手は12人。小雨と寒風の中、四三は途中で破れた足袋を脱ぎ捨て、はだしで走るも2時間32分45秒で優勝した。当時の五輪マラソンの優勝タイム2時間55分18秒を大幅に上回る大記録だった。さらに13年に2時間31分28秒、14年には2時間19分20秒と、驚異的なタイムを打ち立てた。
四三が生まれた和水町在住で、2016年の熊本城マラソン2位の荒木宏太さん(33)は「シューズもなく脚への負担はかなり大きいはず。相当な走力が必要で、100年以上前の記録とは思えない」と驚く。(前田晃志)
2017年09月19日(火)付熊本日日新聞朝刊掲載