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細川忠利公に客分として迎えられた武蔵は千葉城跡に屋敷が与えられた。千葉城跡一帯は、現在はNHK熊本放送局。武蔵が使ったとされる井戸の跡が残っている。
殿様の忠利公が亡くなったときはさすがにがっくりと来ていた。喪が明けると、岩戸観音の洞窟にこもると言いだした。まわりはとめようとしたが、頑として聞かない。武蔵はこの屋敷から金峰山山麓の霊巌洞に通ったという。
武蔵は剣・書・絵など大変な能力のひとである。当代第一級のマルチ人間であるといってよい。交遊関係も多彩である。しかし、これらが将軍家や大名家への取り立てに結びついていないところに武蔵の悲哀がある。 また、熊本市の東北、立田山麓にある細川家の菩提寺泰勝寺。武蔵は泰勝寺の春山和尚と親しくしており、武蔵も座禅を行って心の平安を求めた。谷尾崎・梅林公園の林の中にはたたみ二畳ほどの巨石があり、この上で座禅を行ったと伝えられている。 <2002年7月24日、撮影・編集 白石>
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