| ■ 馬 門 石 ■
〜阿蘇ピンク石…細川藩の御用石〜
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宇土市網津町の馬門地区などで産出される馬門石。独特の薄紅色をした馬門石は、別名「阿蘇ピンク石」とも呼ばれる。細川藩時代、唯一の御用石として厳しく管理され、領内の橋や水門など公共建築に広く使われた貴重な石だ。
阿蘇ピンク石はまた、古墳時代、大和朝廷の大王の石棺として用いられたことも分かっている。現在、1500年前と同様に石棺を古代船で畿内まで運ぼうという、地元を中心としたプロジェクトも進んでいる。
古代から綿々と使われてきた馬門石だが、中国産の安い石材におされ、昭和30年代に本格的な切り出しは行われなくなり、今では”幻の石”となっている。最近の調査で明らかになった馬門石の石切り場を訪ねた。
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| 阿蘇溶結凝灰岩の分布=宇土市教育委員会提供 |
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| 独特の薄紅色をした馬門石の石切り場=宇土市網津町 |
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| 馬門石で石棺づくりをする彫刻家の高濱英俊さん=宇土市網津町 |
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| 1863年ごろに完成した船場橋。長さ13.3メートル、幅3.6メートルで高欄には薄紅色の馬門石が使われている=宇土市船場町 |
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| 牧神社の馬門石で造られた薄紅色の鳥居。周囲の深い緑に映え、鮮やかに浮かび上がって見える=宇土市網津町 |
「馬門には五十戸ほどありますが、昔は農業のかたわら、ほとんどが石の切り出しをしていました。裏山は今、樹木に覆われていますが、周りはずっと石切り場で、赤石をはじめ黒や白の馬門石を注文に応じて出していました」
馬門地区の奥まった所に住む野口必(すなお)さんは現在96歳。五代続く馬門石の切り出し職人。懐かしむように緑濃い裏山に目をやった。
「石切りは4、5人で組んでやっていましたが、馬門石は軟らかく扱いやすかった。ノミで矢穴を掘って矢を打ち込んで割りますが、石の目をきちんと見なければなりません。切り出す石の大きさは、縦は尺二寸(一尺は30センチ)、横は二尺から二尺五寸、厚さ一尺ぐらいで、時には河川工事に使う一丈二尺(一丈は3メートル)という大きなものもありました。石は馬車が通る大きな道まで、牛に引かせて出していましたので、どこの家にも牛がいました」
野口さんは今でも、石切りの道具を大切に持っている。矢をはじめげんのうやのみ、たがね、ちょうな…。「重たい石が相手なので一番仕事ができたのは30歳代。自分の家の石作りの小屋や礎石などは自分で作ったもの」と、目を輝かせた。
●林の中の石切り場
馬門地区は宇土半島北側を流れる網津川が作った谷あいの集落。一帯には、阿蘇火山の火砕流でできた溶結凝灰岩が広く分布している。馬門石はその溶結凝灰岩で、赤い阿蘇ピンク石のほか、白石、黒石と呼ばれる色の石もある。
「阿蘇ピンク石は馬門地区のほか熊本市北部や大分県臼杵市など限られた所に分布している。なぜ限られた所にしかないのか。また、なぜ赤くなったのかなどよく分かっていない。馬門ほど広範囲に阿蘇ピンク石が分布している所はほかにない」と、阿蘇火山を研究している熊本大の渡辺一徳教授。
宇土市教育委員会文化振興課の高木恭二課長と藤本貴仁技師らは馬門石の分布と石切り場などを調査。石切り場の跡は馬門地区のほか野添・藤ノ迫地区、網引町の清辻・這坂地区の、東西1キロ、南北1.5キロの範囲にあることを確認した。石を切った垂直の壁や石を切り出す際に出た大量の石くず、さらに石切り場を守る石垣などが、うっそうとした林の中にそのまま残っているという。
●細川興文が好む
また、馬門地区で行った試掘調査では、石くずに混じって古墳時代中期(5世紀後半)の土器などが出土。古墳時代から馬門石が切り出されていることが分かった。
「畿内の大王の棺と時代が同じであることを確認できました。しかし、地元ではほとんど使われた形跡はなく、当時はとても貴重な石だったようです。中世になると地元でも五輪塔などに使われるようになりますが、一番使われたのは江戸時代。細川藩は『赤石場見締(あかいしばみかじめ)』を置いて、馬門石を公的に管理し、公共建築に主に使ったようです」と藤本さん。
江戸時代、馬門石が使われたのは上水道の管、水門、鳥居、眼鏡橋、石畳、玉垣などさまざまで、熊本平野のあちこちで確認されている。中でも宇土市の轟水源から町中心部の船場橋まで引かれた総延長約5.5キロの轟泉水道には馬門石の管が7000本も使われた。管の1本の長さは1.5メートルほどで縦横はそれぞれ60センチ。大きな石材が惜しげもなく切り出されたことが分かる。
「宇土細川藩の六代興文(おきのり)は薄紅色の馬門石が好きだったようで、不知火町に作った隠居所の桂原蕉夢庵の台所の流しの石の色を詳細に指示しています。また、轟泉水道は二代行孝の時代に完成していますが、約100年後の明和6(1769)年、興文が馬門石に総替えしたのです。轟泉水道は日本最古の水道として、今でも100戸に水を送っています」と藤本さん。
● ”赤い鳥居”
現在、阿蘇ピンク石を切り出し、古墳時代の大王の石棺を作る作業が続いている。来年秋、海路800キロを漕(こ)いで畿内へ運ぶ実験航海(県青年塾、石棺文化研究会など主催)に向けて、彫刻家の高濱英俊さん(不知火町出身、東京在住)が製作している。
「御影石などと比べると軟らかくて加工しやすいのですが、もろいので何にでも使えるわけではありません。しかし、こんな色の凝灰岩はほかになく、見た目に美しく趣もいいので、藩が御用石として保護したのも分かります。阿蘇ピンク石の産地らしくもっと町づくりに活用すると宇土の雰囲気も変わると思います」
石棺用の阿蘇ピンク石を提供した清田新一さん(62)は「祖父が石工でした。5、6年前に山を切り開き、石切りを始め、お地蔵さんなどをひまひまに作っています。今回の大王の石棺の実験航海が、地域おこしのきっかけとなればと期待しています」と、再びスポットが当たり始めた馬門石に夢を膨らませている。
石切り場から100メートルほど登った所に「牧神社」というお宮があった。宇土半島の中央山地にあった細川藩の牧場と関連した神社であろう。鳥居や石段、玉垣などが馬門石で造られていた。中でも”赤い鳥居”は周りの深い緑にひと際映えて美しく、阿蘇ピンク石が古代から尊ばれてきた理由が分かったような気がした。
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